この夏の猛暑の影響で、バラも夏バテをし、例年よりは半月以上遅いですが、やっと秋バラが咲き始めました。花芽も次々とついてきています。秋の一日、季節の移ろいを感じに霊園に遊びにみえませんか。

ペットの供養についての考え

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平成29年『寶塔山』お会式号から

十界全ての成仏が説かれるのが『妙法蓮華経』です

イイお経が聞きたい、イイ教えに触れたいと思うのは、何も人ばかりではないようです。

8月、9月と犬のお骨をお連れになって、ご宝前で愛犬の、お葬式を営みました。
えー、犬のお葬式をするんですか?と思われる方もおられるかと思いますが、最近、特に増えてきました。

毎年、お盆には愛犬の塔婆を建てられる方も、幾人かいらっしゃいます。

その方たちにお話ししたのが20代の頃、佐世保のお寺様の手伝いに行っていたときの体験です。

毎月お参りに行く家があり、顔に傷のある、おっかない系の御主人の父親が、上五島の出身家内も上五島ということで、20代の若造である私を先生と呼び可愛がって下さいましたが、ある時、「何年も通っているお手伝いさんが来ても、毎朝必ず吠えるのに、なぜ先生にはうちの犬は吠えないんでしょうか?」と質問されました。

その家は、金融業をされていたこともあり、玄関部分以外は締め切られシェパードが離されていましたが、お伺いしても、吠えられたことがありません。


それどころか仏間の右に掃き出しのサッシがあったのですが、お経に行くとその犬は、サッシの外に必ず座ってお経を聞いているのです。

その時にお話ししたのは、「畜生といえども仏性があるのです。かえって動物の方が、野生の本能で有難いことが分かるんじゃないでしょうか」とお答えしましたが、日蓮大聖人様が示現された曼荼羅本尊は、十界互具の大曼荼羅です。
地獄界から、仏界までの全てが記されています。たとえ地獄界、餓鬼界、畜生界に堕ちている存在でも、全てに仏性があり、成仏する可能性を書き表されました。十界の全てが、支えあっている世界こそが、浄仏国土に他なりません。。

有難いことに私達は人間です。口に法華経を読み、お題目をお唱えし、法華経の教えの実践が出来ます。

日蓮大聖人様は『上野尼御前御返事』の中で、お釈迦様が法華経を蓮華に譬えられたのかについて、「蓮華は花が咲いている時に、すでに果も種も同時にある(華果同時)、だから法華経の教えを蓮華に譬えられているのだよ。
法華経以前の経典には、まず功徳を積んで、後に仏に成ると説かれているために、成仏が出来ない。
法華経は手に取ればその手やがて仏に成り、口に唱えればその口は仏となる。月が出れば、水面に月影が浮かぶように、音と響が同時に聞こえるようなものだ。だから法華経には、『若し法を聞くことあらん者は一人として成仏せずということなし』(方便品第二)と書かれている。この経文の意味は、法華経を信じ持つ人が百人いれば百人、千人ならば千人一人残らず成仏する、そうした経文なのだよ。(意訳)」と、説示されています。

平成30年に向けて

誰しも、親しい人を亡くせば、悲しみの淵に沈みます。それは、長年可愛がったペットを失っても同じ事なのです。

縄文人は、犬を埋葬したことが分かっていますし、江戸時代の犬の俗名、戒名を刻んだ墓も見つかっています。

ペットを亡くした寂しさから立ち直れない、「ペットロス」という言葉もあります。そんな方たちに、悲しみから立ち直るお手伝い「グリーフケア」(中陰、四十九日の一番の意味はここにあります)も必要と感じました。

それは勿論、一緒にお経、お題目をお唱えする、ご縁結びの為ですが、敷地の一角にペット供養塔を造る計画中です。ペットの火葬業の方ともご縁を戴きました。

来年は戌年です。犬の供養をしたら、大判小判を掘り当ててくれるかも知れません。

(平成29年、お寺のお便り『寶塔山』より抜粋)

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